20190831
アイヌの熊たち。順にサパンペ(冠)、イクパスイ(飲む箸)、トゥキ(杯)。「札幌・アイヌ・古道具」展、開催中です。(9月8日まで。神楽坂一水寮。今日30日は青花会員と御同伴者のみ)。出品者は倉谷弥生さん(古道具十一月)。手にとる機会があまりないものがならんでいます。https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190801.html
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昨夜はおなじ一水寮で井出幸亮さん(『Subsequence』編集長)、高木崇雄さん(「工藝風向」代表)の工芸対談でした。参加者のみなさん、ありがとうございました。以下はチラシの高木さんの言葉より。
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〈ときどき、古美術、というのに古工芸、と言わないのは何故だろう、近代以前に「美術」なんか存在しないのだから、せめて「プレ美術」って呼べば良いのに、などと考えます。そして、古工芸と言わない理由はきっと、工芸にはものづくりの過去と未来が既に含まれていて、時間を区切る意味がないからだろうし、区切ってしまうと「美術」になるんだろうな、と思ったりもします。であればきっと、工芸を考えることとは、僕らが生きる「今」について考えることと同義なのかもしれません〉
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工芸には過去だけでなく未来もすでにふくまれている。よい考えですね。
20190830
今日から「札幌・アイヌ・古道具」展、はじまりました(9月8日まで。神楽坂一水寮。今日30日は青花会員と御同伴者のみ)。出品者は倉谷弥生さん(古道具十一月)。昨夜はアイヌ工芸をならべながら、文様好きの柳(宗悦)、無文好きの坂田(和實)、その差は? という話などしました。https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190801.html
20190828
あさって30日(金)から「札幌・アイヌ・古道具」展です(9月8日まで。神楽坂一水寮。30日は青花会員と御同伴者のみ)。出品者は倉谷弥生さん(古道具十一月)。写真(出品作)は順に、ライクルテクンペ(死者のための手甲)、テクコクペ(おしゃぶり)、イクパスイ(捧酒箸)、パラムリリ(死者を包む紐)。これらは札幌で撮影したもの。今日また5箱届きました。https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190801.html
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印刷所から今日届いた新刊の『工芸青花』12号でも、「三人とアイヌ」という特集を組んでいます(会場で予約販売します)。
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〈近代以降、アイヌの文物は、民芸・工芸のジャンルにおける鑑賞対象という側面と、人類学における調査研究対象という側面から受容されてきた。他方で(略)蝦夷土産・蝦夷細工(これは近世に遡る)、すなわち同時代の作り手が製作する土産物・伝統工芸品としての位置付けも、アイヌ文物受容の第三の側面として触れておきたい〉〈アイヌの手工芸品には「メノコカラペ、オッカイカラペ」(女のつくるもの、男のつくるもの)という呼び分けがある。おおまかな分業として、女性は刺繍、編み物、入墨を手がけ、男性は木彫に携わる〉(閑野譚「アイヌ文化概観」)。
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お待ちしております。
20190826
倉谷さんがえらぶ木彫り熊。今週30日(金)から「札幌・アイヌ・古道具」展です(9月8日まで。神楽坂一水寮。30日は青花会員と御同伴者のみ)。出品者は倉谷弥生さん(古道具十一月)。以下は倉谷さんから。「倉谷的なるもの」があります。─
〈今展のお話をいただき、どんなものを展示したいだろうか、なにを選ぼうかと思い、今までどうやって古いものを選んできたのかを考えてみました。すると、理由を考えて選ぶことはほとんどない事が改めてわかりました。例えば道具のようなものを選ぶ時、本来の用途で使うことはもちろん考えられますが、道具としての具合よりも、きれいだとか面白いだとか、そんな単純な気持ちが優先します。心が躍る、ゆれる、ざわつくなど、出会ったもの中にそんな気持ちを見た時、やはり理由は考える事なく手に取ってしまいます。困った気持ちにさせられるものもあります。非常に気に入るものに出会った時、困った困った参った参ったというわけのわからない気持ちで理由は考えず手に取ってしまいます。そうして選んだもののほとんどは自身の生活を考えると無くても困らないものなのですが、あると具合よく、机の上にあるだけでわけもなくうれしい。そして万が一そんなものが役に立った時の喜びは普通以上です。本来の仕事ができる古道具はほとんどありませんが、別の形でどなたかのお役に立てる事を願っております〉
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190801.html
20190822
笹野一刀彫大黒像と提灯作りの道具。笹野一刀彫は山形県米沢の郷土玩具(羽が削り花式の鷹など)で、以下は県のサイトより。〈起源は、木製の削り花「笹野花」と、疫病よけの八角形の護符「蘇民将来」のふたつで、地区内にある笹野観音信仰と深い関わりがあると伝えられています。また、江戸後期に米沢藩第9代藩主上杉鷹山が、農民の冬の副業として奨励したことで盛んになったともいわれています。技術的にはアイヌ民族の木製祭具「イナウ」との共通性が認められます〉。抽象度の高い2体。─
8月30日(金)からはじまる「札幌・アイヌ・古道具」展出品作(9月8日まで。神楽坂一水寮。30日は青花会員と御同伴者のみ)。出品者は倉谷弥生さん(古道具十一月)。以下は倉谷さんの自己紹介です。
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〈2003年11月にオープンしました。自分でできる範囲のお店を考えた時、昔から好きだった古いものを扱いたいと思いました。古いものは相場の決まったものもありますが、個人によって価値が大きくかわるものがあります。そして自分が信じるものはなんでも売ることが出来ます(常識の範囲で)。自分にとって喜びの大きな仕事でした〉
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190801.html
20190821
来週30日(金)から「札幌・アイヌ・古道具」展です(9月8日まで。神楽坂一水寮。30日は青花会員と御同伴者のみ)。出品者は倉谷弥生さん(古道具十一月)。同展リードです。─
〈『工芸青花』12号(2019年夏刊行予定)でアイヌ特集を組むことになり、何度か札幌へゆきました。そのとき、ギャラリー「sabita」の吉田さんがまっさきにつれていってくれたのが「古道具十一月」でした。店主の倉谷さんともその後、取材をともにすることになり、倉谷さんがあつめたアイヌの器物も撮影、掲載しています。だから今展は、12号刊行記念でもあります(掲載品の多くが出品されます)。
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倉谷さんと話していて、つよく感じるのは、彼女のまなざしのやさしさ、ていねいさでした。骨董は「眼利き」や「美学」といった言葉で語られることが多く、基本的に(右派左派とわず)、選別/排除の論理が支配的なジャンルです。けれども、古道具十一月の戸棚にしまってあった(おそらく売るあてのない)さまざまな、厖大な数の古釘をみたときに、強者的な選別/排除とはべつのまなざしを発見した気がしました。「発見」というのは、それが「選別/排除」でも「なんでもあり」でもない、もしかしたらあらたな(いまだ名づけられていない)論理かもしれないと思ったからです〉
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倉谷さんのSNSは以下です。
https://www.instagram.com/antique_11gatsu/
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『工芸青花』12号も月末にはできあがるので、ひとあしさきに会場で御覧いただけそうです。写真は出品作より、ポロニマ(大刳り鉢/径54.5cm)。
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190801.html
20190819
あらたな催事のお知らせです。ー
■講座|金沢百枝|キリスト教美術をたのしむ50|ロマネスクの宇宙9|笑い
□9月27日(金)18時半@自由学園明日館(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=286
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■展覧会|産地とはなにか2 つづける
□9月27日−10月6日@工芸青花(神楽坂)
*9月27日は青花会員と御同伴者のみ
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190901.html
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■講座|工芸と私34|日野明子|産地のつづけかた
□9月29日(日)15時@一水寮悠庵(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=288
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以下も引続き開催、募集しています。
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■講座|金沢百枝|キリスト教美術をたのしむ49|ロマネスクの宇宙8|怪物
□8月22日(木)18時半@自由学園明日館ホール(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=284
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■講座|工芸と私33|井出幸亮+高木崇雄|工芸についていま考えたいこと
□8月30日(金)18時半@一水寮悠庵(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=285
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■展覧会|札幌・アイヌ・古道具
□8月30日−9月8日@工芸青花(神楽坂)
*8月30日は青花会員と御同伴者のみ
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190801.html
20190816
8月30日(金)夜は、井出幸亮さん(『Subsequence』編集長)と高木崇雄さん(「工藝風向」店主)の対談「工芸についていま考えたいこと」です(神楽坂一水寮)。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=285
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今年創刊された『Subsequence』の基本テーマは「Arts & Crafts for the Age of Eclectic/折衷時代の美術工芸」。井出さんは内外の文化全般につうじたキャリアのながい編集者ですが、初の創刊誌のテーマをなぜ「工芸」にしたのか、「折衷時代」とはなにか、ちゃんと訊いておこうと思いました。
https://subsequence.tv
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〈優れた仕事がもつ固有の歴史と時間を奪われ、単にマチエールを表現する材料として、「今」に奉仕させられることで、工芸はあっという間に歴史性を欠いた雑貨になってしまう。貧しさから生まれた工芸が、豊かさのための道具、差異を表現するための雑貨と化しているのを見るのは辛い〉。先月(第29回)の高木さんのブログからです。毎回、簡潔ながら示唆にとむ工芸論を読むことができますが、この回の内容は時宜的かつ原論的で、さらに掘りさげたいと思いました。
https://www.kogei-seika.jp/blog/takaki/029.html
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井出さんと高木さんは同世代ですが、工芸観はたがいにことなり、それがこの時代の工芸を考えるうえで、えがたいヒントになっています。雑誌のこと、ブログのことを皮切りに、ふたりがいま考えていること、私がふたりに訊きたいことなど、ぞんぶんに話せたらと思っています。(菅野)
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おふたりは10月9日から松屋銀座のデザインギャラリー1953ではじまる「工芸批評」展の出展者です(監修は三谷龍二さん。ほかに鞍田崇さん、広瀬一郎さんと私も参加します)。その話もできればと思います。
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また、対談当日はおなじ一水寮で開催する「札幌・アイヌ・古道具」展の初日です。青花会員(と御同伴者)限定の日ですが、対談参加者は御覧いただけますので、展示室入口でお知らせください。
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190801.html
20190814
『工芸青花』の新刊12号、校了しました。今号もさまざまな方にお世話になりました。8月末−9月初旬刊です。よろしければ定期購読も御検討ください。写真は特集「生活工芸派と2018年」より。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=4
20190812
美術史家・金沢百枝さんの次回講座は8月22日(木)夜、「ロマネスクの宇宙8|怪物」です(自由学園明日館@目白)。おハコのテーマですね。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=284
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写真はかつて金沢さんと取材したフランス、オルネーのサン・ピエール聖堂(12世紀前半)。ロマネスク彫刻の宝庫です。『工芸青花』4号で特集しましたが、そのときの彼女の文章タイトルが「かいじゅうたちのいるところ」でした。
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〈これらの怪獣や動物たちを(略)美術史家アナ・チェリコヴァは「救済を待ちのぞむ怪異なもの」とみなし、寓意譚、動物譚とは無関係とするのですが、どうでしょうか〉
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オルネーの初日は雨で、街もひっそりしていて、車のなかでパンをかじって雨があがるのを待っていました。以下は映画『Where The Wild Things Are』のサントラ。
https://www.youtube.com/watch?v=oAai9x-0BtA
20190811
今年も声をかけていただいて、青山ブックセンター恒例の夏の選書に参加しました。http://www.aoyamabc.jp/news/summerbook2019/
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えらんだ本は安藤雅信さんの『どっちつかずのものつくり』(河出書房新社/2018年)。以下コメントです(ABC店頭で2000円以上買うと全160人のコメント掲載タブロイドがもらえます)。
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〈肩書は陶作家としてきた。それは陶芸界にも美術界にも入れない、でも焼物を制作している作家という微妙な立場を表している〉。ここ20年ほどの工芸界でもっとも意義ある動向だった、いわゆる「生活工芸派」の代表作家の半自叙伝と対談(坂田和實、村上隆ほか)。「現代」と「工芸」の関係こそが〈微妙〉なのだとわかる。
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写真は8月末刊の『工芸青花』12号より。昨年刊行されたこの3冊を、以下の3人が書評する記事。井出幸亮(『Subsequence』編集長)、沢山遼(美術批評家)、高木崇雄(「工藝風向」店主)。3人とも3冊について書いていますが、傾向的に、井出さんは三谷本、沢山さんは安藤本、高木さんは赤木本への言及が多かったのが、さらなる読解ができそうでした。
20190809
高木崇雄さんのブログ「工芸入門」更新しました。今回のタイトルは「うなぎ」。工芸の「青田買い」について。分野/業界の構造批評ができる稀有な書き手として信頼しています。ぜひ全文を。https://www.kogei-seika.jp/blog/takaki/031.html
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〈いずれにせよ、工芸だってきっと「近い将来における野生での」生息が難しくなりつつある、絶滅危惧種ではないでしょうか。出てきたばかりの若い作り手を実績もないのに青田買いして、良さげな言葉を振りかけて売ってしまうことを繰り返してきたあまり、工芸という場に生まれる仕事がどうもこのごろ痩せてきてはいないでしょうか〉
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その高木さんと、「折衷時代の美術工芸」を標榜する雑誌『Subsequence』編集長・井出幸亮さんの対談「工芸についていま考えたいこと」をおこないます(8月30日夜@神楽坂一水寮)。〈ライフスタイルブームとは「“ライフスタイルショップでモノを購入するというライフスタイル”のブーム」〉(『「生活工芸」の時代』)とかつて喝破しつつ、かならずしもそれに否定的ではない井出さんと高木さんの対話は、「雑貨化」の是非、消費の功罪をめぐる話にもなるはずです。
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=285
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写真は8月末刊『工芸青花』12号「三人とアイヌ」より、みやげものとしての熊。「みやげもの」とはなにか。
20190809
昨日は中村好文さん、増田奏さんおふたりによる講座「住宅設計入門」の初回でした(全5回)。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=280
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今年で4年目。昨夜はおふたりによるスライドレクチャーと、今回の課題発表でした。「〈みせたい住宅〉はいやだな」「ドアはフタ。なるべくフタしたくない」など、すでにいくつものメモすべき言葉も。
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写真ははじまるまえ、新刊の自著『小さな家の物語』(平凡社)にサインする中村さん(参加者へのプレゼントでした)。以下は同書「はじめに」より。中村さんのゆるがぬ信念ですね。
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〈独立してからこの日まで、細々ながら、倦まず弛まず住宅を設計し続けてきました。そんなわけで、設計した住宅は優に二五〇軒を超えていると思います。(略)規模や、場所柄や、クライアントの年齢はまちまちでしたが、ぼく自身が設計に向かう心構えはまったく変わりありませんでした。そして、なにがいちばん変わらなかったかというと、どの家でも、そこにぼく自身が住むつもりで設計してきたことです〉
20190805
〈その清廉かつ厳正な審美眼によって、1972年の開店以来、孤高ともいうべき独自の姿勢を貫いてきた著者の姿を、私は長年まぶしいものとして眺めてきた〉(平松洋子/『東京人』201608)─
著者とは李鳳來さん(1947年生れ)。骨董商。青山「梨洞」主人。著書に『李朝を巡る心』(2016年)。
https://www.kogei-seika.jp/book/richou.html
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〈だが李朝のスゴサは、いくら瞬間を切り取った写真(注・青山二郎と小林秀雄が李朝徳利を手にした写真)とはいえ、あんな風になでられるものではない。もっともっと高貴なモノなのだ〉(『李朝を巡る心』)
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他の〈高貴〉さを知る/尊重すること。モノ(工芸)は自他を分断するためにあるのではなく、自他をつなぐためにある(それが「用」の──いまとなっては──最大の効能ではないか)。「表現の不自由展・その後」の顚末に暗然としつつ、しずかな叫びのような李さんの名文を読みかえしていました。(菅野)
20190804
森岡督行さんのブログ「森岡書店日記」更新しました。今年6月の日々。〈帰り際、「親子が絵本の読み聞かせをできるような書店をつくりたかったのです」と書店の方が言う。デジタルの都市にあって、終始、別のアナログのイノベーションを模索している人々の熱意を感じる。5時間のフライトで成田に到着〉。写真は森岡さん。今年の「青花の会|骨董祭」で。https://www.kogei-seika.jp/blog/morioka/041.html
20190801
「歴史のかけら:古代と中世の西洋骨董」展、開催中です(神楽坂一水寮。8月4日まで。13−19時)。写真は今朝の展示室。https://www.kogei-seika.jp/gallery/20190701.html